2013年03月11日

明遍〜以仁王



光明山鳥居前で、以仁王が死ぬ。興福寺に助けを求める途上であった。光明山は山岳寺院で、藤原摂関家と関わる。明遍という異端も、一時遁世した。平治の乱で粛清された信西を父とし、越後国に配流される。赦免後東大寺で三輪宗を学び南都のエリート僧となる。真言密教をも解釈すべく光明山に顕蜜勤行に入る。その時、以仁王一行と関わりをもってしまったと空想する。越後国小国への東国逃避行伝説。その裏側には、明遍の人脈と智謀があったのではないか。自身の人生も波乱含みで、高野山での念仏、法然との出会いで念仏専修へと進む。末法と対峙した僧であった。

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2013年03月05日

以仁王〜偽王



イワオには分からなかった。目の前の烏帽子の小動物の価値が。清盛の横暴という。エミシは、それがムシロこころ良い。以仁王を越後に逃す。これが、北の酋長の指令だ。極寒の貿易には利がある。だが、このおそれる人物を逃すことに利を見いだせない。貴きモノに、イワオは尋ねる。「生きてなんする?」タカクラのカミは、人でもない蝦夷にただ怯える。舟の揺れに、かすかな北の地の瞠目が嗤う。ミヤコの正体も、地球の規模では一つの点にすぎない。寒風すら心地良い蔑まれる民には、全ての企みが氷結して危うい。

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2012年11月17日

奥大道〜日本海の覇権



奥大道は白河関〜平泉〜外ヶ浜を貫通する官製街道であるという。藤原清衡が企画し、成したと。その意図は何か。北上川の舟運で牡鹿港(石巻)から太平洋に至る。その重要性と比較すべきルートが、存在している。外ヶ浜から沿海州に至る海外交易、そして日本海ルートの京への接続。奥六郡、山越えをすれば出羽国、越国に隣接する。にもかかわらず、外ヶ浜を起点にすべく、奥大道は整備をはじめた。清衡の治世でも出羽国の支配が困難であったか。その後、三代秀衡が支配を確定する。それでも、外ヶ浜・西ヶ浜は津軽四郡に組み込まれない。鎌倉もそれを捨て置いた。

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2012年11月15日

吉里迷の里〜つながる大陸



イワコの靴は凍結していた。北の夷島(サハリン)と大陸を隔てた海も氷結しつながる。吉里迷(ギレミ)の民は素朴だ。イワコには宋人の抜け目なさは気に食わない。が、酷寒の民ギレミとの交易は、心なごむ。漆器や鉄器、織物と喜んで、高価な毛皮や西欧からの流れ物を交換してくれる。倭のミヤコにも無い貴物。「ハラムレン(黒龍江)の周辺で争いが絶えない。」ギレミの酋長の暗い目。「女真(金)が支配してるのでは。。」イワコは聞き返し、高麗商人の言葉を思い出す「女真の北に戦をいとわない民がいる」と。雪原にすさぶ氷片が、蒼い光を放ち、消える。

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2012年10月31日

末法の奥州〜金色堂



釈迦尊入滅から二千年後の西暦1052年が末法の時代となる。とすれば、前九年の役に端を発する、奥州藤原氏は末法に生きたと言えないか。中尊寺の金色堂に安置された阿弥陀如来は、末法から身を守る為の装置だった。源平が争う世に、ともかく生きのびたのは、そのご利益だろうか。末法の思想、浄土教的な宗教の展開に、辺境の蝦夷たちも取り残されなかった。じきに到来する、念仏というものも、字を使い慣れない蝦夷民衆にとっては、渡りに舟だったのではないか。仏教という政治に、人々は翻弄される。

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2012年10月25日

清盛の影〜宋人



イワコは宋の荷を解き、検める作業に没頭した。湊に揚がる前に作業を終え、なにかしらの品を掠めるのだ。むろん、平氏官僚に知れれば、死する。沖の夜知らせの松明に、群れをなす船団が進む。イワコの上司は宗人。倭の言葉を話し、エミシのたわごとにも通ずる。知らぬは平清盛入道ばかり。奥州の御仁は、高麗からの情報で宗人の動きも筒抜けなのだ。「テンミン!銭も数えた。貴物の札も揃えた。ワ(私)になに渡すか?」宗人は笑い「金をもつエミシに、なにが必要か?」碧い瀬戸内海の夜に、蒙古の波。冷たい土地、熱い血。イワコの心臓に、草原が打ちよせる。

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2012年06月26日

外ヶ浜の風〜壺の石文



院政から逃亡した、西行は、果たして外ヶ浜に達したのだろうか。タワラノトウダこと藤原秀郷の末裔、北面の武士であった佐藤義清がなぜ陸奥の国を目指したか。俳句三昧の物見遊山では、なかっただろう。山家集録「むつのくの 奥ゆかしくぞ 思ほゆる 壺の石文 外の浜風」なる俳句に、「壺の石文に記載された”日之本”」を既成事実化する意図を感じ。”日之本”の解釈は様々ある。私見として、聖徳太子以来の、朝廷による領土拡大と関連付けたい。”日のぼる処”の拡大。蝦夷まだ盛んな外が浜に、言霊が到来する。

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2012年04月17日

地図の無い島〜アムールへ



津軽に秋は無かった。冬の到来を告げる時、秋ではなく、すでに冬だ。イワヲを乗せた小舟は、深浦の湊から流された。知りすぎた老人を水葬する儀式。水棲生物の餌となる。だが、イワヲにはまだ意識があった。天空に揺れる星群を凝視する。かつて北の海をサハリンまでも、一人航海した。昏睡の中、舟を操縦していた。確かなのは、漂流している方向。己の死に場所。己と妻しか知らぬ島へ。この一点を念じ、闇の海が手を差しのべる。津軽と大陸の間にあるその島へ。孤島で死に、渡る鳥へ肉体をついばれる為。稲妻がみぞれ、アムールへ。

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2012年03月25日

十和田湖〜大噴火



九百十五年、十和田火山は大噴火を起す。後三年の役のおよそ百七十年前のことである。この自然現象で、三湖伝説が起る。八郎太郎の八郎潟、辰子の田沢湖、南祖坊の十和田湖。噴火は周辺の食生活に渇望を生じさせた。それが地域自治に与えた激動は、悲惨だった。食べるための略奪、武力による専横。共生に馴れた本州北端に、無くても良い政治が侵入する。延久蝦夷合戦は、その百五十年後のこと。津軽にまたがる地域社会への、意味の無い「律令」。この災害と交易という内外の感傷と欲望に、一つのマジックを披露する。荒夷達の心根に、刺す、帰属が到来した。

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2012年03月14日

白鳥伝説〜安倍氏



聖徳太子なる者に敗れたという物部氏の一部は、配下の鳥取氏(渡り鳥氏か?)と近江国余呉湖に流れる。それを許す政権ではなく、奥州にからがら逃れた一群が常陸国白鳥池にて、その伝説を伝えた。大陸から飛来する白鳥の群れ。それは、古代、秦帝国成立の汚れた記憶を、帰来人の子孫に刻印する。逃れること、覇から自由であること。安倍氏として、体制を整えたかに見えた蝦夷帰化人は、戦乱に堕ちる。時代に瞑想する。安倍則任の係累、常陸鹿島の白鳥十二郷へ、津軽藤崎から津軽十三湖へ。

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